たまには真面目な話。
二十数年前に就職した会社、N証券会社落ちて、O商会落ちて、最後にひっかかったのがT社。社員の7割が女性で、当時にしては女性の役員も管理職も多く時代を先取りという印象。
ひな壇の席に座っていたO取締役とI取締役。見た目は怖いけど(話しても怖い人やったけど)「仕事できる!」って感じで。それこそチーターみたいな髪型で、スーツはJUN ASHIDA。
「かっこええなあ、私もこんな人になりたいな」と思ってたな。役職とかじゃなく、こんな輝いてる40代でいたいなと思ってたな。
あのころのO取締役やI取締役の年齢になり、「あぁ、あの頃のお二人はもっと素敵やったよなぁ」「もっとかっこよかったよなぁ」と振り返ることが多くなってきた40代やったけど、先日1歩あこがれてたお二人に近づくことができた。
2月1日をもって今の会社の取締役に就任することになりました。
入社してすぐに役員の秘書の集まる部門に配属されて、経営の資料に目を通したり、資料を作ったり。
4年目には関連会社のコンピュータスクールの講師となり、Wendows95からOfficeから、秘書学、ビジネス文書なんかを教えることになり、自らも資格取得に打ち込み。可愛い教え子たちとは今も連絡を取り合ってる。
その後1997年ごろには、本社の教育事業立ち上げに携わり、お客様先にインストラクタとして飛び回ったり。
そしてアウトソーサーはヘルプデスク・コールセンターの時代へ。ヘルプデスク事業の担当マネージャとして部下100人を抱えていろんな部下との出会い。男も泣かしたな。
会社は一気に成長し、横串で研修体系を整備することになり、このころ東京勤務となったな。「転勤はいや!」というわがままを3年間も聞いてくれた上司。3年間ほぼホテル住まいという異例の対応で乗り切った。
「頼むから転勤してくれ」と大好きな上司に頭を下げられて、泣く泣く転勤したのが2003年ごろかしら。人事制度改革のプロジェクトに入って、ドラスティックに人事制度改革したね。
社長から表彰もされて、最後は燃え尽き症候群。
いろんなことをさせてもらいすぎた。
これって贅沢やな。ほんま、ありえないぐらい、いろんな経験をさせてもらって、成長させてもらって、「もうこの会社で私にできることはない」と、えらそうな結論に至り、今の会社に転職したんやね。
T社の創業者Oファウンダーに呼び出されて「ニューヨークに転勤しろ」と言われ、退職を引き留められた。もう、今の会社に就職することが決まってたから、一晩泣き明かして「No」と答えたときのことを思い出すと「あの時の判断は正しかったのか」って思い続けてた。
後悔ではないねん。自分への問いかけ。
今も「正しかった」かどうか分からんけど、「正しかったんや」と言えるようにがんばるしかないねんな。
今日は会社のスタッフたちが、サプライズでお祝いをしてくれた。
お客様から電報やメッセージも届いた。
引き締まるね。
あのころのあの人に近づいた今が、またスタートやねんね。
がんばらないと。